2月14日 ~中央の出発点~

  • 2021.2.14
  • コラム
2月14日。 それは株式会社中央にとって特別な日。 今回は当社社内報『くじら通信』の創刊号の発刊にあたり、 「創刊に寄せて」と題して綴られている桑嶋紀二相談役の寄稿文より 創業当時のエピソードを掲載いたします。   ・・・以下寄稿文・・・   創業当時の事を想い出せば走馬灯の如く浮かんでくる。 中でも生涯で一番印象深い日は、昭和38(1963)年2月14日、当時22才2ヶ月の時であります。 1ヶ月程前から準備に取り掛かり、自らの手で造り、準備した調理施設もどうにか完成し商品の見本作りに取り掛かった。 将来は、給食弁当を作る計画であったが、それには得意先も無ければ資金も無い。 取り敢えず現金商売を始めようと、事前に計画していた鯨カツを製造販売してみる事にした。   その当時、栗林校区には、今でいうコンビニの様な食料品店が点在していた。 その店に直接卸しをする事を考えていた。 早速、直径35cm程のアルミの鍋で鯨カツ15枚を掲げて、2月13日の午後に、3枚ずつ5軒に配る事にした。 相手先の承諾ももらわず、一方的に自分で決めての行動である。 いきなり店に入ると、ご主人らしき人が店に立っていた。私は、鯨カツを販売して欲しいとお願いした。 ご主人は、困惑した様子でしきりに奥の方を眺め返事が重かった。 すると奥様が奥から出て来て「鯨のカツなら要らないよ」と一言。 そっけ無い言葉だった。   「何故要らないのか教えて下さい。」と詰め寄った。 奥様の返事では「過去に販売していたけど売れなくなったから…」とのことであった。 私は仕方なく、用意していた見本用の3枚と名刺を置いて帰ることにした。 後の4軒も同様である。家に帰り、夕刻に感想を聞きに行くつもりであった。   帰宅してから1時間程たった頃、 間借りしていた大家さんからインターフォンが鳴り、 「高崎さんから電話ですよ」とのことで、表の大家さんの自宅に行って受話器を受け取った。 するとあの声を荒げて断った奥さんであった。 いきなり、「試食したら美味しかったので、明朝10枚納める様に」とのことであった。 ただし朝5時~5時半までに納める様に、とのことであったので、 翌朝中古のバイクに乗り5時に届けた。   店では例の奥さんが、薄暗い電灯の下で食料品を並べていた。 私は店先に鯨カツ10枚を置き、帰ろうとした。 すると奥から「兄ちゃん兄ちゃん」と声を掛けられた。 私はドキッとした。 何か、不都合があったのか?と思いそっと振り返った。 すると腰から下った財布から百円札と10円硬貨を1枚、計110円を取り出し渡してくれた。 当時鯨カツは1枚11円であった。私は驚いた。 まさかその場でお代を頂けるとは、夢にも思っていなかったのである。   その時の嬉さとお金の温もりは、今も思えば涙が溢れる。 昭和38年2月14日、この日が株式会社中央の出発点であり、忘れてはならない日であります。   ・・・・・・ 出発点があるから今があります。 創業当時に想いを馳せながら、今日も新しい一歩を踏み出しましょう!